人見知りの弊害について

バイト先に人見知りの人がいる。明らかに話しかけられるのを待っている感じでそこに居る。最初は好奇心に駆られて話しかけていたが、段々めんどくさい・・・と思うようになった。

私もかつて人見知り丸出しで生きていた。人見知りを多少克服した(行動パターンを抜け出せたという意味)者として人見知りの弊害について書きたいと思う。

あなたが人見知りだとしよう。人見知り丸出しでもいつも世の中には優しい人もいる。人見知りで話しかけられる状態の人間に構ってくれる人というのはいつも現れる。彼らは人見知りが出来ないことを手助けし、優しく友達としていつもそこに居てくれる。人見知りにとって彼らはもはや命綱、神であり日常生活には欠かせない。人見知りがその友達を失うことは完全なる孤独を意味する。それはとても恐怖、恐怖以外のなにものでもない。そしてそういう状況で友達がいる人見知りにもそれが分かっているのが悲しい。人見知りは友達のご機嫌を延々伺う羽目になる。

本当に優しい人間というのは存在する。なにも求めず、優しくいつも接してくれる。しかしこれは本当ではない。「何も求めず」というのは正しくない。

「優しく」「接する」こと自体が目的であることもある。それか「とりあえず友達が欲しい」か、「構ってくれそう」だからか。人見知りはリスクを犯すことを避ける。自己主張せず、相手に扱われることを望む。自己主張せず人間と関わることにも結構なリスクを孕むことを知っておかなければならない。「こいつ言うこと聞いてくれそうだし」でくる奴の可能性を高める。多かれ少なかれ人間関係とはそういうものだが、バランスが傾けば精神不安定になること間違いなし。