通信大卒業したら喪失感で胸がいっぱいになった(2022/03/26)


2022/03/25、4年間在籍していた大学通信教育部の卒業式があった。全日制の生徒がほとんどの卒業式に出席した。袴ブーツの女子とカラースーツの男子たちに混じって就職用のスーツとトレンチコート、おじさん靴で出席した。かなり浮いた存在だったと思う。武道館の中に入って、椅子に座ろうとしたとき羞恥心が駆け巡ってトイレに逃げたりした。でも、人生で初めての大学卒業式。これまで不登校と中退を繰り返し、親に大分迷惑をかけてきた私がやっと手にした大学卒業資格だった。親は来なかったが、自分自身のために卒業式は出るべきだと考え出席した。一生に一度かも知れない。武道館の中にめったに入れないしね!なんて思ったり。4年前も武道館で入学式を迎えた。4年前はコロナなんてなかったからあの理事長もいたし、平野歩夢(このときはまだ銀メダリスト)も代表として壇上にいるのを見たり、色々今回の卒業式とは違っていた。保護者も全学部も入れて武道館はぎゅうぎゅうだった。
花粉症と風邪の人以外でマスクなんてしている人は珍しかった。今じゃ全員している。消毒液と体温測定はもう当たり前の日常として受け容れられている。4年前、絶望に近い気持ちで入学した。あのときも今回の卒業式と同じ恰好だったかも。明るい新入生に混じるだけで、勝手に普通になれない自分に嫌気が指し、何かがすり減るようだった。4年で卒業するぞ、と思う反面、できるのかなあ、とも不安だった。めちゃくちゃで温情合格としか思えない卒論を書き、124単位は何とか揃えた。私の目標は何が何でも大卒になることだった。教員免許も目指さず、とにかく楽な単位を見つけて最低ラインのレポートを書き、試験やスクーリングで認定されること。自慢できる点は最低限は試験で合格している。スクーリングの方が合格しやすいし、成績の評価も良く出るが、親に負担をかけたくなかった。今までとんでもなく迷惑をかけたので。学位式で合格レポートの全てを寄付してきた。今思うと全部残すべきだった??と思ったり。ワードに残ってたレポートの下書きも消しちゃった。突然何も証を残せなかった気がして未練が駆け巡る。卒業したのにね。証明書を貰うときと教室を出るとき、学部教授と話せたのに、「ありがとうございます」しか言えなかった。色々な気恥ずかしさが邪魔した。4年前スクーリングで一緒になって、LINE交換したあの人に話しかければよかった。もう会えないんだなあ。この時、学生証を返却したのでポータルサイトに入れなくなった。とにかく馬鹿真面目に「卒業式に出るぞ」としか思ってなかった。卒業するって事は、学生じゃなくなるということ、所属先を失うという意味を持つのだと式が終わってから実感している。喪失感で胸がいっぱいになる。学位式のあと、水道橋のホテルで祝賀会があった。気恥ずかしさで挨拶もそこそこにしか出来なかった私は、1時間前からホテルのロビーで待機した。「乾杯!」のコールは隣の部屋でオンラインを通じて見れたのは時代を感じた。酒が呑めない私は食べ終えるとさっさと家に帰ってしまった。知り合いもいないし、長時間マスクつけていて頭がくらくらしていた。閉会式もあったみたいだけど、体力的に限界だった。閉会式まで居たら何があったんだろう。卒業しても繋がるような友達は作れなかった。哲学専攻なのに対して哲学の知識がないままだ。とにかく何が何でも卒業したかった。卒業したのに、もう大学生じゃない寂しさでいっぱいだ。学割有効に利用できなかったなあ・・・。もっと学食食べたかったなあ・・・。相変わらず学校という場所が大嫌いだった、人が怖かった、誰も登場しない学生生活だった、それでもこの4年間もしかしたら青春だったのかも知れないと今になって気付いて泣きそう。